こんにちは、さとこです。
保育園の二次申込みの結果が早く来てほしくてドキドキです。無理やったらどーすんの?
最近モヤモヤしたことがあって自分なりに解決したので書いときます。
子育てって自分の過去が自分を正しにやってくるな〜と思った出来事。
とある子育てブログを読んでて、個人的にあれ?っと思いました。
どんな内容かと言うと、自分の若い頃とか「これ自分は嫌いだわ〜」みたいなことを何も考えず周りに言ってたけど、そういう言動は良くなかったな〜と思ったという内容(超意訳)。
なんであれ?と思ったかというと私もバリバリそっちの人間だったから。
今でこそ、
・私の好みではないものでもそれを好きな人もいる
・世の中いろんな好みの人がいる
・自分の好き嫌いだけに囚われた批評は不特定多数との円滑なコミュニケーションには不適切
ってもちろんわかってるんですが、じゃあ多感な中高生の時にそれができたか?って言うと話は別だと思うんです。
具合例出します。
私、中高生のとき、あんまりPerfumeが好きじゃありませんでした。
テレビの音楽番組を見ながら、歌声は加工されて棒読みやし、そもそも絶対音源やん…ただ踊ってるだけなのに何がそんなにエエんやろ?って思ってました。
(その時はバンドとか好きだったからね。推しはソウル・フラワー・ユニオン御大。)
でもその後、大学生くらいになってから
あぁこれはこれで「こういう表現のもの」ってパッケージで観てみるとかわいいしかっこいいしエエ感じやな〜ってあっさり考えが変わりました。
今思うと中高生の時って「自分とはこういう人間だ」っていうのを確立したい時期だから、いろんなことに対して自分基準をはっきりさせたい時期だと思うんです。
で、自分基準をどうやって作るかというといろんなものに触れた上で好き嫌いをつけて境界線を探していくという作業が必要になるという。
私の場合は「歌に力のあるバンドが好き」「Perfumeみたいなのは機械っぽくて歌に感情が感じられないから好きじゃない」って一つ一つラベリングする感じ。
だから中高生の時期の、この曲嫌い〜とかこのアーティストなんでみんな好きなのかわからんわ〜とかいう言動ってある程度必要なものなんじゃないかなーと個人的に思う。
NOの噴出を止めて全方向に配慮するような中高生にはなってほしくないな。
(だから中高生の時はSNSとか使わせたくないな…。全方向に配慮が必要なツールだから…。)
でも過去を振り返ってみるとたぶん私は声が大きい?ツッコミが鋭いという名の言葉の暴力?が激しいほうだったと思うので、一緒にいた人は傷付いてたかもしれないな〜なんて思ったり……。
「Perfumeかっこいいよね〜」「は?マジで言ってんの?音源流して踊ってるだけやん。」みたいな。
いま思えばたぶん自分というものにまだ自信がないから、それを固めるために意見が鋭くなってたんやろな〜とか思います。私はここにいるぞーもっと知ってくれーっていうアピール、ツッコミ鋭い自分に酔ってる的なとこもあったり。
自分の存在を周りに知ってもらうために声を大きくしなくても人は人、自分は自分で混ざり合うことはないから堂々としてればいいってあの時はわかってなかったな〜。
(なんと大学生の時にこの私の人生におけるテーマ「堂々とその時を楽しむ」ってことを教えてくれる恩師と出会うのですがそれはまた別の機会に書きたい。)
ただもし自分の娘が大きくなってそういう時期がやってきたら…やっぱり、その言動は人を不必要に傷付ける可能性があるよ!っていうのは少し言いたいな。
自分の好き嫌いをハッキリさせるために意見を持つのは良い。堂々としてりゃいい。
でもその意見を周りの人に無理に強要したり、他の人の考えや好みを貶めるのはアカン。周りの人の意見はそれはそれで尊重しよ。
「Perfumeいいよね〜」「そうなんやー私はバンドが好きやからあんまりちゃんと聴いたことないな〜、あ、昼ごはん何食べるー?」みたいな。
(え、話題変えてるやないかって??)
それを考えると、子育てし始めてから自分の過去が自分を正しにやってくるな〜ほぼ毎日、何かしら思い返して考える日々です。
そもそも人間って日々周りとぶつかって傷付いたり傷付けあって磨かれていくものなのに、我が子には傷付いてほしくないっていう考えもちょっと違うな〜と思ったりします。
あーーーーー人類補完計画な世の中だったらこんなこと考えなくてもいいのになーーーーーーー(唐突なエヴァンゲリオン)。
みんなで一つに溶けて自他境界なければこんなことにも悩まないのにーーーーー!!!!!!!
でも溶けるのこわいからやっぱりこの現実を受け入れてがんばります。。。
【結論】エヴァやっと完結するね、おめでとう!
以上!
↓モヤモヤした前作